映像 谷根千

映像ドキュメント.com 
with 谷根千工房 


29.谷中で戦争を語りつぐ会 2014

28.谷中で戦争を語りつぐ会 2013

27.富士山を見る人々〜日暮里富士見坂からの風景を残したい

26.山口二郎さん 民主主義は建て直せるか〜新潟県巻町の住民投票に学ぶ

25.池内了さん 福島・被害者の立場に立って・科学者の倫理

24.避難所となった平工業高校〜文京区のボランティア加藤さんに聞く

23.避難所となった人気温泉 石巻市北上町追分温泉にて

22.日本ガンバロー!大塚モスク(大塚マスジド)の被災者支援活動

21.谷中コミュニティセンターについて永橋為成さんに聞く

20.フクシマをどう見るか〜池内了さんのゲストトーク

19.憲法9条を守れ〜益永スミコさんの話

18.由布院に響く砲撃音〜日出生台演習場について平野美和子さんに聞く

17.津波の驚異──天心の六角堂消失

16.原発は人類の負の遺産〜志賀原発差し止め訴訟原告 堂下健一さんに聞く

15.子どもはわが手で守りたい〜志賀原発差し止め訴訟原告 志田弘子さんの話

14.谷根千地域からこれ以上銭湯を失わないために

13.福島県新地町に荒先生を訪ねて

12.津波は東京駅の屋根まで来た〜修復中のスレート瓦が被災

11.女川原発に反対して40年‐高野博女川町議に聞く

10.「ダムとわたし映画祭」大西暢夫監督トーク

9.東日本大震災支援‐おにぎりにぎり隊奮闘記

8.Stray Sheep 迷えるNTT〜藍染川・今昔〜

7.谷根千にNTT巨大無人ビルはいらない

6.知花昌一さん、知花盛康さんに聞く 普天間・首相官邸前座り込み

5.八ッ場ダム建設予定地を訪ねて〜秋の吾妻渓谷紀行〜

4.谷根千工房がやってきた!

3.「谷根千」最後の日 by 森まゆみ

2.三遊亭円朝 by 森まゆみ

1.谷根千ツアー with 森まゆみ 西日暮里三丁目界隈編

映像 谷根千
『谷中・根津・千駄木』という地域雑誌をご存知でしょうか。谷根千(やねせん)という地域名を生みだした雑誌で、この地域に住む有名無名の人々とその歴史を掘り起こし、暮らしを記録するなかから、自分たちが住みたい町をつくっていこうと出されてきました。
雑誌は2009年8月に25年間の幕を閉じたのですが、谷根千をつくってきた森まゆみさんと映像ドキュメント.comの面々で映像による谷根千をはじめました。

映像ファイルについて
映像はYouTubeDailymotionに公開しサイトに埋め込んで表示しています。
WMVファイルでも再生・ダウンロードできるようにしてあります。回線速度が遅くて見にくい人は、再生ボタン右クリックでダウンロードしてから再生してみてください。

映像谷根千 YouTube
http://www.youtube.com/YanesenNet
映像谷根千 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/Yanesen

link to 谷根千ねっと
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映像・谷根千

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映像・谷根千

映像ドキュメント.com
http://www.eizoudocument.com/

映像ドキュメントYouTube
映像ドキュメントYouTubeチャンネル
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映像ドキュメント   映像 谷根千  
谷中で戦争を語りつぐ会 2014」をアップしました。
2015.2.10

谷中で戦争を語りつぐ会 2013」をアップしました。
2014.10.28

富士山を見る人々〜日暮里富士見坂からの風景を残したい」をアップしました。
2013.5.23


 配信中の映像リスト

link to 谷中で戦争を語りつぐ会 2014

谷中で戦争を語りつぐ会 2014
疎開と谷中空襲の体験 片山服恵さん

2014年3月4日 谷中の家

1945(昭和20)年3月4日、谷中は米軍B29爆撃機による空襲におそわれた。谷中では毎年、空襲のあった3月4日に戦争体験を語りつぐ集いが開かれている。2014年の「谷中で戦争を語りつぐ会」より片山服恵さんの話。

16分28秒動画を見る


link to 谷中で戦争を語りつぐ会 2013

谷中で戦争を語りつぐ会 2013
1.谷中空襲の体験 田邊武さん
2.満州からの引き揚げ体験 和田肇さん
3.集団疎開〜谷中の戦後 和田章子さん
2013年3月4日 谷中の家

68年前のこの日、1945(昭和20)年3月4日、この町は米軍B29爆撃機による空襲におそわれた。
死傷者 約500人、全半壊家屋 約200戸、東京大空襲に先立つ6日前のことだった。
その夜、谷中の家では戦争体験者を迎え、14回目にあたる「谷中で戦争を語りつぐ会」が開かれた。

13分45秒、29分22秒、23分32秒(全編 66分40秒)動画を見る


link to 富士山を見る人々〜日暮里富士見坂からの風景を残したい

富士山を見る人々
東京の風景遺産 日暮里富士見坂からの風景を残したい

「富士見坂」は数あれど、都内で実際に路上から富士山が見える最後の場所になってしまったのが日暮里富士見坂。年2回のダイヤモンド富士のときには、多くの人で坂が埋まる。しかしその見事な眺望も、マンション建設で消えようとしている。富士山の眺望を残したい。
(川原理子)

23分27秒 2013年5月23日⇒動画を見る


link to 避難所となった平工業高校 文京区のボランティア加藤さんに聞く

民主主義は建て直せるか〜新潟県巻町の住民投票に学ぶ
山口二郎さんの話

ゆふいん文化・記録映画祭 2012年6月

2012年6月末、恒例のゆふいん文化・記録映画祭に北海道大学教授・山口二郎さんが登場。いまの日本がどうなっているのか、明快にしかも熱のこもった政治論を語っておられます。来るべき衆院選は、そして都知事選はどうなるのか、民主党の失政を背景に橋下、石原両氏が連携して、国民の不満を第三極に野合しようと狙っているいま、その動きに踊らされていいのでしょうか? 必見のスピーチと思えます。
(森まゆみ)

41分12秒 2012年11月21日⇒動画を見る


link to 池内了さん 福島・被害者の立場に立って・科学者の倫理

福島・被害者の立場に立って〜科学者の倫理
池内了さんの話
ゆふいん文化・記録映画祭 2012年6月

昨年のゆふいん文化・記録映画祭での映像に続き、今年行われた映画祭での宇宙物理学者池内了(さとる)さんのお話です。科学者の戦争責任に関する著作もあり、世界平和7人委員会の一員でもある池内さんが、1放射線被曝をどう考えるか? 2原子力基本法の危険な改正、3差別と犠牲の構造、4世代間の倫理などについて、わかりやすいお話をしてくださっています。
(森まゆみ)

33分15秒 2012年11月21日⇒動画を見る


link to 避難所となった平工業高校 文京区のボランティア加藤さんに聞く

避難所となった平工業高校〜文京区のボランティア加藤さんに聞く

2011年5月半ば、いわきモスクに炊き出しのお手伝いに行った際、平工業高校に3月26日から支援のまとめ役ではいっている加藤良彦さん(東日本大震災支援文京ボランティアグループ代表)をお訪ねして話を聞いた。
津波で家を流された被災者が最大時、百数十人くらしていた。4月18日に住宅斡旋が始まり、仮設住宅や借り上げ住宅に徐々に入っていき、日赤の家電六点セットなどを待つ方が今は数十人。しかし家も職も失った方もいるなか、避難所をでると食費も光熱費もかかる。いわき市からもたき出しボランティアがあった。
東京直下型地震の際、どんな避難所が機能するか、大変参考になる話だった。最初お酒は禁じられていたが、4月、お花見で初めてお酒を出したという。その話をするとき、加藤さんの声が微かに震えた。
(森まゆみ)

8分55秒 2012年10月5日⇒動画を見る


link to 避難所となった人気温泉 石巻市北上町追分温泉にて

避難所となった人気温泉 石巻市北上町追分温泉にて

2011年4月16日、わたしたちは少年ジャンプや子供向けの絵本、楽しくなる大人向け読み物をバンに積んで、東北道を走った。
2泊目、お世話になったのが以前からお付き合いのある石巻市北上町女川の追分温泉旅館。ここは三陸りあす海岸部でも屈指の人気宿ですが、なんと宗ちゃんこと主人の横山宗一さんはたまたま山中の宿は電気が止まったものの無事だった。その日から避難者を受入れ、海辺の避難所に着るものや食べ物を届けました。
「農業漁業が復興しないうちは観光なんてありえない」という横山さんの言葉に私は胸うたれました。
避難所なのに3回も泊めていただき避難者と同じ食事をいただきました。そのとき聞いた話は、人ごとでなく、災害時の心得として役立つものばかり。
「みんなの役に立つならずっと避難所でもいい」と覚悟した横山さん、いまは避難所からみんな仮設住宅に移ったので、営業を再開しています。以前泊まったお客さんはいろんな物を送って支援してくれて、また泊まりにきてくれています。
(森まゆみ)

7分28秒 2012年10月5日⇒動画を見る


link to 大塚モスク(大塚マスジド)の被災者支援活動

日本ガンバロー!大塚モスク(大塚マスジド)の被災者支援活動

2011年5月の半ばに大塚モスクの物資を運びながらいわきモスクの炊き出しを手伝いに行った。行く途中に東海村,勿来の関、東京電力の火力発電所などを通った。
いわきは30万人を超える大都市なのに、海際の避難所の炊き出しをなぜ東京から行わなければならないのか、まずそれが疑問だった。しかしいってみるといわき市部と海際は分断され、いわきの内陸の人々も3月11日,4月11日の2回の地震の後始末で大変だった。また原発まで30キロくらいで、こどもを連れていわきから出ている人も多い。原発労働者はいわき湯本の旅館から福島第一に出勤していた。
「困った人がいたらどこでもすぐ助けに行く」というイスラームの精神には感銘を受けた。大塚モスクは現在までに99便の支援を行っている。
いっぽう震災から2ヶ月たって少なくなった避難所には、お年寄りや幼児を抱えた主婦など出ることが困難な人々が残っていた。
(森まゆみ)

8分18秒 2012年8月20日⇒動画を見る


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谷中コミュニティセンターについて永橋為成さんに聞く
吉村順三から受けつぐもの

地元に愛され活用されている谷中コミュニティセンターの建て替えをめぐって、5月、住民からは3・11の経験を柔軟に汲みいれ、住民に計画を十全に説明し、よりよいものを建ててほしいという陳情が台東区議会に出され、全会一致で採択された。
建て替えは何年も前から地元町会などからも要望があり、一年ほど前から部会を作って基本計画が検討されてきた。その努力に敬意を払いつつも、ぜひ大災害の経験、知識を活かしてほしいと思い、7、8月には4回の意見交換会、ワークショップを行い、その結果をまとめて区議会へ届けた。
その際、区界にあるコミセンにとって住民とは何をさすのか、コミュニティとは=町会なのか、活用される防災資産とはなになのか、いろいろなことを考えてきた。31年前、このコミセンができるとき中心となって住民の声をまとめた永橋為成さん(東京芸術大学建築学科卒、建築科、当時谷中在住)に現地でお話を聞いた。
(森まゆみ)

8分40秒 2011年11月8日⇒動画を見る


link to フクシマをどう見るか〜池内了さんのゲストトーク

フクシマをどう見るか〜池内了さんのゲストトーク

総合研究大学院大学教授の池内了(さとる)さんとは毎日新聞の書評委員を20年前にご一緒したが、このところ由布院で毎年お会いする。いつも科学映画を楽しく解説してくださる。ことしは池内さんが福島の原発事故をどう見るか,私は強い関心があった。
とくにその予定はなかったが、事務局の方たちの判断で、帰られる前にミニ講演をしていただいたのを、池内さんと事務局の了解を得て紹介します。すでに2ヶ月前の話だが、科学者の見分け方など参考になる。〈2011年6月26日撮影〉
(森まゆみ)

11分8秒 2011年9月2日⇒動画を見る


link to 憲法9条を守れ〜益永スミコさんの話

憲法9条を守れ〜益永スミコさんの話

第14回由布院文化記録映画祭で、益永スミコさんの話を聞いた。
スミコさんは1923年生まれ、88歳。助産婦として働きながら愛知県の病院では労働組合を結成、1974年退職後は死刑反対、憲法9条を守れ、などさまざまな市民運動に参加。一人でも毎日駅に立ち続け、九条の話をし続ければバス停でみんなの背中が聞いている、と言いきる。
迫力に満ちたお話の一端を、ご本人と映画祭事務局の了解を得て紹介します。〈2011年6月26日撮影〉
(森まゆみ)

8分58秒 2011年9月2日⇒動画を見る


link to 由布院に響く砲撃音〜日出生台演習場について平野美和子さんに聞く

由布院に響く砲撃音〜日出生台演習場について平野美和子さんに聞く

由布院といえば大分県の憧れの温泉地、朝霧にかすむ金鱗湖、東名で豊富な湯量、宗教音楽が響く喫茶店、地鶏料理に映画祭などで知られていますが、実はこの町は日出生台(ひじゅうだい)という自衛隊の駐屯地があり、実弾演習が行われています。以前、日米合同演習が行われ、普天間基地をここに移設しようという動きすらありました。
毎年、文化記録映画祭に参加しながら、日出生台を見たことがなかったので、2人の友だちと平野美和子さんの車で、見学に行きました。〈2011年6月27日撮影〉
(森まゆみ)

10分26秒 2011年9月2日⇒動画を見る


link to 津波の驚異─天心の六角堂消失

津波の驚異──天心の六角堂消失

5月18日、いわき市避難所への炊き出し応援に向うとき、勿来(なこそ)インターで降りると天心美術館の看板が目に入った。日本ナショナルトラストの保護資産である五浦(いずら)の六角堂(観瀾亭、国の登録文化財)は3・11の津波で海に流された。
明治31年、上野の東京美術学校を追われた岡倉天心は、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らと谷中に日本美術院を結成(天心公園のところ)。明治38年、天心は茨城県五浦に美術院を移し、瞑想の場所六角堂を建てた。天心に従い茨城の寒村に家族で移った美術院の仲間の暮らしは想像を絶するものであった。
津波で六角堂は海に浮かび、今は海底に眠っているのかも知れない。台座だけが残されていた。4月18日、茨城大学池田学長は、海底に六角堂を探すか、再建すると発表。ダイバーたちが潜水すると擬宝珠や瓦が見つかった。
(森まゆみ)

4分3秒 2011年9月2日⇒動画を見る


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原発は人類の負の遺産〜志賀原発差し止め訴訟原告 堂下健一さんに聞く

志賀町町議会で原発を監視しているのが無所属の町議堂下健一さん。同地の出身ながら何年も水俣に住み、ふるさとに帰って能登原発差し止め訴訟の原告団団長を務める。
金沢地裁では井戸謙一裁判長が「原発は人類の負の遺産」という判断を示した。「可能性として、外部電源の喪失。非常用電源の喪失。さまざまな故障が同時に。多重防護が有効に機能するとは考えられない」という判決文は、まさに福島原発の事故を予測したようである。
とくに2号機は改良型沸騰水型軽水炉というタイプで、コストは安いが事故が非常に多いという。志賀原発の近くには邑知潟断層帯が走っており、地震との関係では大変危険な原発といえる。
堂下さんは2007年の前回は573票で落選したが、3・11以降の4月25日に行われた町議選で1128票でトップ当選。農作業に忙しいと言う堂下さんに無理を言って、志賀原発の見える岡の上で短いインタビューを試みた。風がびゅーびゅー吹き、初対面とあっておたがい堅くなってしまった。でも堂下さんも井戸元裁判長も私も1954年生まれなのがちょっと嬉しい。
(森まゆみ)

8分34秒 2011年7月1日⇒動画を見る


link to 子どもはわが手で守りたい〜志賀原発差し止め訴訟原告 志田弘子さんの話

子どもはわが手で守りたい〜志賀原発差し止め訴訟原告 志田弘子さんの話


5月の連休に、七尾のお祭り青柏祭に行きました。でかやまの名前で親しまれる国の重要無形文化財です。その合間をぬって七尾市田鶴浜の友禅作家志田弘子さんを訪ねました。
志田さんは子供を持つ親の立場から志賀原発差し止め訴訟の原告となり、1999年8月31日、2号機差し止め訴訟第一回口頭弁論で母親の立場から意見陳述をしました。
石川県能登半島、ここに原発計画が発表されたのは1967年、1977年に国が要対策重要電源に指定、1980年に志賀町議会で建設促進を決議、漁民や住民の反対を無視して1988年1号機着工、1993年運転開始、1997年2号機着工。
1999年6月18日には制御棒3本が抜け落ちて臨界事故を起こした。しかし北陸電力は8年間事故隠しをしたのである。そのことが明らかになる前、1988年から住民は運転差し止め訴訟を起こし、2006年3月14日、一審の金沢地裁(井戸謙一裁判長)は、日本の商業原発で初めて「想定を越えた地震で原発事故が起こる可能性がある」として運転差し止めを命じた。画期的な判決だった。
2007年3月25日には能登沖地震が発生、このときは1、2号機とも運転停止中で幸い。しかし名古屋高裁は2009年3月18日、地裁判決を覆し、最高裁も2010年10月29日、これを支持、住民側の敗訴が確定した。3・11にも1、2号機はとまっていて、住民の反対により再稼働のめどは立っていない。このまま廃炉に持ちこむことを願う住民は多い。
(森まゆみ)

12分30秒 2011年7月1日⇒動画を見る


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谷根千地域からこれ以上銭湯を失わないために
震災で被災した山の湯

銭湯は体を洗うという衛生の面で、町にはかかせないものだが、それだけではない。毎日通うことで生活にリズムができ、人に会うことでリフレッシュになる。子どもがよその大人にマナーを教わったり、情報交換など、コミュニケーションの場としても、町の中で大きな役割を担ってきた。
根津の山の湯は、3月11日の震災で煙突に穴が開いてしまい、安全のため急いで煙突を解体、休業が続く。借家のため、再開のめどは立っていない。山の湯には、家に風呂がない人はもちろん、ある人も多く通っていた。再開を望む声はあちこちから聞こえる。
そんな中「休業中の根津・山の湯に入ろう!〜煙突もカランもお湯もないけれど、これを最後にしないための見学会〜」が開かれた。主催は、谷根千からこれ以上銭湯を失いたくない風呂好き連中=略して「銭風連」。昨年に谷中の世界湯、初音湯が続けて廃業し、大きなショックを受けたが、山の湯はどうなるのだろうか。今なら存続の可能性もまだありそうだ。
(川原理子)

23分19秒 2011年6月9日⇒動画を見る


link to 福島県新地町に荒先生を訪ねて

福島県新地町に荒先生を訪ねて

宮城県丸森町で畑をやっていた4年以上、体の具合がおかしいと、峠を越して隣りの福島県新地町にある荒治療院に通った。荒利美先生は近くの自然の音を集めたり、アフリカの太鼓を子どもと叩いたりするアーティストで、治療のしかたもアーティスチック。
地震のあと、御無沙汰をお詫びがてら新地を訪ねた。新地町にはわが親戚もいて、台所のこして家が壊れたと聞いた。被害が大きかったが、ほとんどメディアでは取り上げられない町。
もっとすごいオフレコ話もあったが、配慮しつつまとめました。でももういいよ、みんな本当のことを語ろう。先生は原発で働く労働者の健康をしきりと心配しておられた。お元気で、また会いましょう。(森まゆみ)

7分34秒 2011年5月31日⇒動画を見る


link to 津波は東京駅の屋根まで来た〜修復中のスレート瓦が被災

津波は東京駅の屋根まで来た〜修復中のスレート瓦が被災

修復中の重要文化財赤煉瓦の東京駅。大正3年に辰野金吾設計で建てられ、バブル期に壊されそうになったが、市民運動などで保存が決まった。その屋根20万枚(古材)を石巻市北上町熊谷産業がおろし、きれいにして戻すばかりのところ、3・11の津波にあった。いっぽう新材を用意した同じ石巻市の雄勝天然スレートも被災。
JRはもしかして被災スレートをあきらめてスペイン産にするかもしれない、との話を聞き、メールで知らせたところ、5000人以上の方が「ぜひ被災地のスレートを使って」と賛同してくれた。
4月17日、わたしは現況を確かめに8年前にも訪ねた2つの会社にスレートの現況を見に行った。皆さんご無事でよかった。塩害の心配もないことがわかった。被災スレートはきっと東京駅の屋根に乗ると思う。東北復興の証しとして。(森まゆみ)

10分46秒 2011年5月31日⇒動画を見る


link to 女川原発に反対して40年‐高野博女川町議に聞く

女川原発に反対して40年‐高野博女川町議に聞く

4月17日、被災地に絵本やマンガを届ける旅の途中、友人早川真理さんの知り合い、高野晃さんを避難所女川総合運動公園にお見舞いした。
そのお父さんが女川原発に町議会でただ一人反対しつづけた町議だと聞いて、その足で石巻市内の事務所に父上、高野博さんを訪ね,この40年の活動について聞いた。
女川町でアンケートをとったところ,原発反対は町民の6割、賛成は2割という。(森まゆみ)

24分34秒 2011年5月10日⇒動画を見る


link to 「ダムとわたし映画祭」大西暢夫監督トーク

「ダムとわたし映画祭」大西暢夫監督トーク

ちょうど1年前の4月、谷根千地域で「ダムとわたし」映画祭が行われた。
岐阜県徳山ダムは1950年代から揖斐川上流に計画された日本最大の多目的ダム。反対はなかったが徳山村全村が水没。
増山たづ子さんも村の写真をとりつづけたが、おなじく岐阜出身の写真家の大西暢夫さんもながらく現地へ通い、写真集と映画『水になった村』を完成させた。このトークは根津ふれあい館での上映会後の話。(森まゆみ)

34分14秒 2011年5月10日⇒動画を見る


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東日本大震災支援
おにぎりにぎり隊奮闘記

被災地に何かできないかと始まった「おにぎりにぎり隊」。4月2日、文京区光源寺(駒込大観音)でのもようを森まゆみがビデオ取材。

9分48秒 2011年4月14日⇒動画を見る


link to Stray Sheep 迷えるNTT〜藍染川・今昔〜

Stray Sheep 迷えるNTT〜藍染川・今昔〜
谷根千にNTT巨大ビルはいらない2

藍染川の河川敷跡でNTT東日本がサーバービルの建設を始め、青鞜社発祥の地ではNTT都市開発がマンション建設と、文京区千駄木ではNTTの跡地・敷地を使った開発が進んでいる。
そもそもNTTはどんな土地に巨大な建物をつくろうとしているのか? 森まゆみが語る。

21分21秒 2010年9月2日⇒動画を見る


link to NTT巨大ビル建設問題・短信

千駄木NTT巨大ビル建設問題・短信
1.NTTビル差し止め訴訟‐第1回口頭弁論 2010年6月9日

千駄木3丁目のNTT駒込第2ビルの敷地ではじまった巨大なサーバービル建設をめぐり、映像で紹介できない動きを報告します。⇒NTT巨大ビル建設問題・短信

掲載2010年6月10日


link to 谷根千にNTT巨大無人ビルはいらない

谷根千にNTT巨大無人ビルはいらない
NTT東日本の巨大ビル建設問題

千駄木駅道灌山方面出口を出た向かいにあるNTTビルの敷地に、巨大なサーバービルの建設が進められている。2010年2月2日、工事着工を知った近隣の人々が門前に集まった。住民はNTTビル建設になぜ反対しているのか、抗議行動を取材した。(森まゆみ)

13分58秒 2010年6月3日⇒動画を見る


link to 知花昌一さん、知花盛康さんに聞く

知花昌一さん、知花盛康さんに聞く
普天間・首相官邸前座り込み

普天間基地の県内移設の断念を求めて沖縄の人々が上京し、首相官邸前で2010年4月6日から4月9日まで座り込みを続けた。その2日目、知花昌一さん、知花盛康さんに話をうかがった。(森まゆみ)

10分59秒 2010年5月18日⇒動画を見る


link to 八ッ場ダム建設予定地を訪ねて

八ッ場ダム建設予定地を訪ねて
〜秋の吾妻渓谷紀行〜

まずはこの目で見てみよう。八ッ場ダム建設中止発表で過熱した報道が一段落した11月半ば、紅葉の吾妻渓谷へ車を走らせた。(森まゆみ)

10分32秒 2010年2月1日⇒動画を見る


link to 谷根千工房がやってきた!

谷根千工房がやってきた!

1884年に創刊された地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(谷根千)は2009年8月、第94号を出して25年の幕を閉じた。
終刊にあたって、谷根千の25年をふりかえり、支えてくれた人々への感謝の意味をこめて、8月21日から30日の10日間、谷中のギャラリーTENで、終刊イベントが行われた。題して「谷根千工房がやってきた!」。
全58分10秒 2009.12.5⇒動画を見る


link to 「谷根千」最後の日 by 森まゆみ

「谷根千」最後の日 by 森まゆみ

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(谷根千)は2009年8月、第94号を出して25年の幕を閉じた。
終刊イベントを終えて、森まゆみさんはビデオカメラをもって町に出かけた。

6分15秒 2009.10.2⇒動画を見る


link to 三遊亭円朝 by 森まゆみ

三遊亭円朝 by 森まゆみ

江戸から明治にかけて活躍した三遊亭円朝は、谷中界隈で暮らした。
谷根千工房刊『三遊亭円朝はわれらの同郷人』をテキストに、円朝と谷根千をたずねた。

16分54秒 2009.8.20⇒動画を見る


link to 谷根千ツアー with 森まゆみ

谷根千ツアー with 森まゆみ 西日暮里三丁目界隈編

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(谷根千)をつくってきた森まゆみさんに案内してもらいながら、自分たちなりに谷根千を映像で記録できないかということで始めた第1回目の谷根千ツアーから。

13分51秒
2009.8.10⇒動画を見る


 

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更新記録        
谷根千ねっと配信開始2009年 8月10日
サイト開設2010年 2月 8日
更新2015年 2月10日